社長の部屋
マットレスは人生のパートナー
株式会社弘樹は30年以上、スプリングコイルのマットレスをはじめとするマットレスを製造してきました。
今では年間約15万本もの製造・出荷を行なうまでになりました。
弊社は、マットレスを単なる寝床としてだけではなく、人生の1/3を共にする睡眠のパートナーとして、ご購入頂けるようなスプリングマットレスを提供させて頂きたいと考えております。
マットレスと聞くと、やはり欧米製が本物というイメージが強いですが、我々は決してそうは思いません。
歴史的に見ても、畳・布団ですごしてきた日本人には独特のオリジナル性が必要です。
品質・機能性・デザイン性などを細かい部分に目をとがらせ、日本人だからつくれる、日本人のためのスプリングマットレスを製造して、皆様に使っていただきたい。
それが、株式会社弘樹の事業の目的と希望です。
私とKOKIのあゆみ
日本人の「究極の寝床」を追い求めることが、そのまま会社の歴史となりました。この長きの間に数々のドラマもありました。なんとか今日まで乗り越えられたのは、お客様との絆があったから。
これまでも、そしてこれからも、社会情勢を見すえながら常に皆様のお役に立ちたいと願っています。
1986年 創業 ~マットレスの価値観を変える!
弘樹社は、ベッドで一番大事なのは寝床となるマットレスだと考え、おまけ的存在の価格設定を固守していた国内メーカーをあきらめ、中国のメーカーにおいて製造することを決断しました。
1987年 ~中国へ製造拠点を移し、工場立ち上げに着手。
当時の大手商社のように、ただ出来上がった商品を買い付けているだけでは何の進歩も無い、こだわりのオリジナルを作りたい・・・そう思いあえて、当時立ち遅れていた北地区の大連を拠点に決め、工場の立ち上げに着手しました。製造をスタートするまでに約3年の歳月を要しました。
1988年 ~品質改善の為のトライ&エラーと実績の積み上げ
様々なトライ&エラーを重ねながら、毎月1コンテナ(約150本)程の製造を細々と繰り返し、問題点を改善しながら、少しづつ実績を積み重ねた年でした。当時、「中国製は...」と疑問視するお客様に納得してもらえるマットレスを必死に製造していました。
1989年 ~天安門事件が勃発。生産継続の危機を乗り越える。
ようやく継続して購入してくれるお客様が付いてきた時、天安門事件が勃発。戒厳令も発令され、何度か怖い思いをしました。一番困ったのは工場の生産でした。しかし何とか生産を続け、乗り越えられたのは、品質に重点を置き、品質問題だけは発生させないことに注力したことでした。
そしてそれらは、今日の弘樹社に繋がっていると確信しています。
1991年 ~品質と低価格の両立を実現。
品質に重点を置きつつ、中国生産のメリットである低価格を実現したことで、 販売数は順調に伸び、年間約2万本まで到達しました。
1994年 ~ポケットコイルの生産開始。
現在は主流になっているポケットコイルの生産を開始しました。
当初は問題点も多かったのですが、設備の改良や構造、材料の改善で、安定した品質を確保し、購入したお客様にも高評価をいただきました。
1997年 ~新たな挑戦。マットレスのデザインに新たな価値観
国内メーカーを中心にマットレスの表地は当たり前のように白か黒の無地でした。弊社はあえて奇抜な色や柄の生地を使い、マットレスにも選択余地を与えたことでヒット。この年5万本を超える販売数となりました。
2002年 ~機能面、意匠面で多様な製品を展開
スプリングコイルとポケットコイルのマットレスをベースに、詰め物のウレタンや表地の柄などを様々な展開をおこないました。弘樹社のマットレスの役割はどんどん大きくなり、販売数も更に増えていきました。工場も現在の新工場へと移転しました。
2005年 ~弘樹社のスタイルが市場に定着。
弘樹社のスプリングマットレスのスタイルは、このころから定着してきたと考えます。買い替え用のマットレスの販売も安定し、弘樹社マットレスのリピート購入が増加し、安定的に年間約15万本を販売するようになりました。
2011年 ~現在
KOKI mattressブランド設立と自社商品の展開を開始
弘樹社独自で、お客様に喜んでいただけるスプリングマットレスを企画・製造・販売すべくブランド立ち上げと製品の開発・製造を開始。
他社にはない実績を土台に、今後も「人生の3分の1」を共にする寝床を日々研究し、KOKI mattressが、世界一のスプリングマットレスと言われるよう精進していきます。